B.  輸出

 

1.   牛肉輸出の歴史と日本マーケットの重要性

 

データソース:ABARE

 

 

オーストラリアはブラジルに次ぐ世界第2位の牛肉輸出国です。オーストラリアのビーフ輸出の界の総輸出量に占める割合は上の円グラフの通りで、生産量に対し自国消費量が極端に少ない(人口が少ない)ため相対的に輸出依存度が高く(65−70%)、世界でも第2位の牛肉輸出国となっている訳です。

 

ニュージーランドについてもこれと同じ事がいえますが、同国はオーストラリアより生産規模が小さいことと、同国最大の産業の酪農業(乳製品の生産)との関連で牛肉産業の内容も変わらざるをえないことが、両国間の大きな違いです。その結果としてニュージーランドではフィードロット産業は少なく、また日本向けの輸出依存度も低いのです。肉牛と牛肉の基本的生産形態は、むしろヨーロッパ諸国(EU)に近いと考えられます。

 

ここでオーストラリアのみに目を転じてみると、オーストラリアの牛肉産業は1978年以来長期的な不況にありましたが、1986年頃からは徐々に回復に向いました。その後は日本・韓国向け輸出が順調に伸び、相対的に米国への依存度が低下したため新たな輸出局面に入ったと考えられます。同時に1987年以降日本・米国・中国・韓国等海外からの資本も多数上陸し、国内民族資本対外国資本の対立・協調関係の新たな図式が浮び上がり始めました。この間タンクレッド・ブラザーズ等多くのオーストラリア同族企業と英国資本のアングリス(ウェデル)が産業界から撤退を余儀なくされました。さらに1990年代からはコンソリデーティッド・ミート・グループ、ビーフランズ、ストックヤード社など繁殖〜肥育〜加工にいたる垂直統合化への様々な試みがなされました。

 

しかしながら以上の経済環境の変化よりも、今迄オーストラリアの牛肉産業を決定してきた、又今後も決定してゆくものは、広大な国土とその有史以前からの過酷な自然=降雨量の増減である事は論を待ちません。

 


a)     黎明期から伸長期へ

1880年英国向けにフローズンビーフの輸出が行われたのがその歴史の始まりでした。

その後1935年初めて冷蔵船が英国に向い以降宗主国英国を中心に輸出が振興しましたが、1960年からは米国がその首位の座を占めるようになりました。この時期、米国の関税外障壁ともいえる極めて厳しい輸出条件のもとオーストラリアの各食肉工場は衛生的な設備と管理体制を整えざるを得なかったのです。

このことがその後の日本向けチルドビーフのシェルフライフを米国産より長くし、日本市場において米国産の商品イメージと対向し得たのは実に皮肉です。しかもチルドの真空パック技術ももとはといえば米国が発祥の地でした。

なお日本がオーストラリアの主要相手先の一つとなるのは1970年代初めからです。

 

総輸出数量1967年から1969年の間、1年当たり40万トン(枝肉重量)前後を記録しており、生産量の約44%が輸出に向けられていましたが、その後海外需要の増大とともに生産数量と輸出数量はともに平行する形で上昇の一途を辿り、1973年には88万トンと4年間で倍増を記録するに到りました。これは、生産数量の60%に当たり、オーストラリアの輸出依存度の高さを示しています。

しかしながら、2年後の1975年になると世界的な石油危機に起因する海外需要の激減により、65万トンと約26%もの輸出減を余儀なくされました。輸出比率は41.%と落ち込み、残りの58.%が国内マーケットに向けられ、国内の牛肉価格が急落したため、国民一人当たりの年間消費量は急増し約70kgと史上最高を記録しました。

 

1977年になると海外需要は回復に向いました。又米国内でのキャトルサイクルが谷に向い、オーストラリアのキャトルサイクルは逆に前年の1976年にピークを迎えるという現象が生じた為輸出量は再び増大し、1979年には124万トン(史上最高)と1975年比実に1.倍もの回復を示しました。

 

b)     停滞期(1980年代)

 

1980年以降は、米国等の国内供給量の増加及び赤肉消費量の減少により再び下降線を辿り、1985年には66万トンと10年前のオイルショック時の水準にまで減少することとなりました。この背景には前述した牛群再建の意欲の後退、牛肉産業の低迷があることは否定できません。

 

しかし、1986年・1987年からは牛肉生産量・輸出量ともに回復の兆を見せ始めました。これは最大輸出先のアメリカがふたたびキャトルクルの谷に向い、オーストラリアからの輸入が増大したことが契機となりました。更に1987年以降日本向け輸出が大幅に伸び、1989年これに加え韓国への輸出が急増しました。韓国は当時の予定として日本と同様数年後(1997年迄)に牛肉の自由化を迎えるべく、入札方式でオーストラリアから牛肉(主に4分割冷凍枝肉)を買い入れ、その数量は1992年約9万トンに至ったのです。


 

c)     再興期(1990年代以降)

 

19914月日本政府は予定通り牛肉の輸入を自由化させましたが、既にオーストラリアに先行投資していた日本企業等の多くがチルドビーフを過剰に輸入した為相場は低迷し、結果的に輸入数量は1992年次353千トンと前年度の1991年次の376千トンを下回りました。

1992年の総輸出量は枝肉ベースで約114万トン(船積みベース79万トン)と1986年以来概ね安定的に増大し、翌1993年には118万トンとなりました。

 

さらに1994年米国の国内価格が低落したため米国向けは減少し、日本向けが実質的に米国向けを追い抜き、初めて輸出先1位の座を得ました。しかし翌1995/1996年も米国は牛肉の増産体制が続き、オーストラリアは米国向けの不調に加え、日本市場でも米国産とバッティングし苦戦を強いられました。

1994年から1999年の間の6年間は、日本は輸出先国の首位を守りましたが2000年からはアメリカ向けの不調が回復し、日本は再び2位に転落しました。

 

2002年は日本でBSEが発生し、また原産地を偽る事件が多発し、日本独特の反応から日本向けが25%も激減しました。しかし200312月アメリカでもBSEが発見され、同国からの輸入が停止されたため、翌年2004年日本は再び首位の座に返り咲き、かつ米国産の一部の代替えを背負うことになった為、過去最高の輸出数量を記録しました。2005年はついに40万トンを突破し404,986トンとなり、翌2006年は405,796トンとなりました。しかしその後はおもに豪州ドル高などで日本向けは少しずつ減少し、2009年は356,600トンとなりました。 

 

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データソース:MLA

 

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なお1992年頃、オーストラリア生産者・パッカーにとり、韓国向けハイクォリティービーフ(主に枝肉)と日本向けグレンフェッドチルドビーフは、相互に汎用・競合性の高い商品であることが、日本向け・韓国向け輸出の双方が伸長すると同時に明らかになりました。

このことは彼らに新たな生産構造の転換の局面を与えることになりました。つまりそれまでの全く分離した仕向け先別の生牛タイプ選定法(国内向けイヤリング、米国向けカウミート、日本向け大型スティア)から、少しずつ関連性のある生牛タイプ゚選別法(日本向けチルドビーフのグラスフェッド・グレインフェッドの規格外品は各々韓国向け冷凍枝肉のグラスフェッド・ハイクォリティービーフに代替が可能。またその逆も肥育日数を短期間延長することで可。)へと一部移行したことは、オーストラリアビーフ業界に大きな生産性の合理化をもたらしました。このメカニズムの詳細については既に前章で述べました。

 

2.   州別輸出実績

州別には、次のグラフが表すようにクイーンズランド州が圧倒的に多く、全体の約6割を占め、以下ニューサウスウェールズ州、ビクトリア種の順となっています。

クイーンズランド州の発展は目覚しく、オーストラリア全体の総輸出量はここ10年の間に約20万トン増えていますが、この増えた数量はそのままクイーンズランド州の増大に合致しています。

また日本向けに限定すると7割近くとなり、クイーンズランド州の優位は更に圧倒的です。

データソース:DAFF

 
 

 

データソース:DAFF

 

3.   日本向け牛肉の内訳

オーストラリアから日本向けに輸出される食肉のうち9割は牛肉で、残りの1割のうち半分以上は殆どが牛の内蔵類なので、いかに牛肉が多いかということです。

 

データソース:DAFF

 
日本向けの牛肉の輸出の内訳については、日本の自由化以降、とくに1993年以降はチルドビーフ、とりわけグレインフェッドビーフの日本向け輸出の伸長は次のグラフに示すように著しくなっています。

 

従来はオーストラリア牛肉は、日本市場では安売り用として、またはアメリカ産牛肉の補完的位置づけとして取り扱われる傾向が強かったのです。

しかし2009年では下のグラフの通り、グレンは44%となっています。 200312月からアメリカ産牛肉が輸入停止となったので、オーストラリアからの輸入が代替を行った為と判断されます。

 

輸入が再開された後もオーストラリア産牛肉への評価は強く、アメリカ産は不安視されています。

つまりこうした状況の中で、安全性に対する対価として、オーストラリア牛肉の商品としての弱点であるセット販売が徐々に克服されていることに他なりません。

 

種類別の輸出構成比率とその実績推移についてはグラフを参照してください。

 

 

 

 

 

 

データソース:MLA

 

 

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参考 アメリカ向け輸出牛肉の内訳

右のグラフは、アメリカ向けの牛肉の種類の内訳を示したものですが、「フローズングラス」の殆どはハンバーガーパティー原料のカウミートとなっています。アメリカのハンバーガーチェーン第2位のバーガーガーキングなどが使用しています。

データソース:MLA

 
「チルドグラス・チルドグレイン」は日本向けの残余部位としての「モモ」などであると推測されます。日本ではモモ肉の評価は非常に低いからです。

 


 

4.   牛肉輸出量増減のメカニズム

 

これまで述べて来たように、輸出の増減はオーストラリア独特の立地と背景で、その大勢が決定すると考えられます。つまりこれらの決定要因を影響力の大きい順に並べると以下の通りです。

     >                    > 

これにたいし、世界最大のビーフ生産国にして消費国のアメリカについては次のようになるでしょう。

     >         > 

 

ここで更に最近では、新たな決定要因が付加えられました。

それは、BSEをはじめとする世界的な感染症の広がりと不安です。この本の一番初めに明らかにしたように、オーストラリアは世界でも貴重な清浄な地域であり、しかもこの状態を維持できるシステムと社会性を有しています。

このことは不安で流動的な世界認識の中で、ますます他の国々に評価・認知されつつあります。

 

従い今後、上の図式の中で、海外マーケット(=海外需要)がオーストラリアの牛肉の輸出に対し、これまで以上の大きな影響を及ぼすことは必至で、益々オーストラリアの畜産の世界における役割の重要性が高まってゆくことになるでしょう。

 

参考  生体の輸出

1996年以降、人件費が安く、かつ部分肉流通の未発達な東南アジア、西南アジア諸国に毎年60万頭〜100万頭が輸出されています。中でも経済成長が顕著で、イスラムの戒律上豚肉を消費できないインドネシア向けが非常に多く、2009年では全体の81%を占めるに至っています。

 

データソース:MLA

 
日本へは毎年2-3万頭の肥育素牛(生体重200kgs以下)と屠場直行牛が輸出されていますが、 この頭数は輸入時に必要な日本各地動物検疫所の係留スペースの収容頭数にほぼ同じとなっています。

 

 

 

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